問題が多い世の中。

ニュースも事ある毎に「〜問題で」と言いたがる。


本来は、問題とは問う題で、答えを求め、見つけることであるはず。

じっさい、答えが既に存在している問題も多いし、

時には長い間、目の前にあったりする。

 

難しい問題をより難しくして解決策を悩むよりも、

問題を問題と見なさなくなったり、

問題となっている行為を止めることが答えになることだってある。

また、ゆっくりと時間をかけて、忘れ去られる頃に消える問題も。

 

しかし、人々は答えはそっちのけで、議論に没頭している。

答えに辿り着かずに、議論の回り道をしないと気が済まないようだ。


ほんの一例として、今でも多くの差別が存在し、

スポーツの世界などでも世間を賑わしている。

人種の問題もそうだが、世の中の格差が作り上げている「意識的な」差別。

仲間を「優遇」したいがために、排他的になることは自然かもしれない。

ただ、相手の事を何も知らずに、知ったかのように決めつけるのは無知と言うものだ。

自分で自分の知性を貶めている。

これはお互いに言えることで、自分でその道を歩いた事が無ければ、

さもその景色を見て来たかのように語ったり、

他人を蔑むことは全く愚かだ。そういう人に限って、

優しさの欠片も、想像力も持ち合わせていない。



今の時代において、ちゃんと自己主張をする事や、不正を指摘すること、

声を大にすべきことは沢山あるだろう。

しかし、誰一人とて法を犯してない人などいなければ、

全ての答えを知っている人もいない。

一生ゴミを出さずに生きている人もいないし、

死ぬまで健康に悪いことから無縁な人もいない。

何に対して、声を出しているのか、誰のためなのか。


要は、自分の周りの問題をいかに答えに変えて行けるか。

自分は問題の一部であり続けるのか、答えになるのか。

人に用意された問題ではなく、新たな問いかけが出来るのか。

答えを実践して事例を作ってこそ、変革は起きる。

それに重きを置くようになれば、変革は起きたのだ。


- Shing02

 

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