ジャズとは、黒人による白人音楽(西洋音階)の破壊と救済である。
オーケストラの指揮者の背中に突き刺した、一本の槍である。

ジャズとは、蘇った黒い知性である。
音符の秩序に対する、徹底した襲撃である。

ジャズとは、悲壮な産声であり、死ぬ悦びである。
魂の寝込みを襲う、黄泉の景色である。

ジャズとは、すべての楽器を太鼓のように奏でることである。
都会の密林で進化を遂げた、土着の言語である。

ジャズとは、黒人の未来であり、過去である。
彼らは、正装を纏って、音楽の奴隷になった。
聴衆に歯を見せる代わりに、背中を向けた。
眠ることを忌み、目と耳を開きつづけた。

ジャズとは、黒人の狂気であり、狂喜である。
アメリカが裏庭で研いだ凶器である。
革命を起こす前に、その武器は埋められた。
演奏家たちは、肉体と精神の溝を埋めようと闘った。
自ら時代の生贄になって、鎬を削った。
現実から逃げながら、自由を捕まえようとした。
誘惑に追われながら、理想を追いかけた。
彼らは音を通して、未来を垣間見た。
その音を聴いた者は、過去を垣間見る。

呼  吸 で   表現  する

喜喜





楽 。

ジャズがお洒落だと思っている人は、
ダイヤモンドが綺麗だと思っている人と同等だ。
それがどこから来たのかを、知りたいか。
それとも、ジャズをブレザーのように着こなしたいだけか。
ジャズは闇に光を諭す音楽であった。
同時に、闇そのものだったろう。
教会にとって淫らな裸体であり、
神々にとって至高の賛美であった。
心の奈落に、ゆっくりと沁みていった。
太陽から隠れて、褐色の肌は濃さを増した。
白黒の世界に、青い色気をつけた。
巨人の足跡を残して、
音の闇は、時の闇に戻っていった。
黒光りする円盤から、ジャズは問い掛ける。
あなたに 感じる力は 残っているのか、と
言葉を捨てて 感じることができるのか
無を恐れずに 闇に入って行けるのか





(スタジオボイス 2005年5月号 ポスト・ジャズ特集 寄稿)