KISS OF BLISS

この項の書き途中に、産まれて初めて緊急病棟に駆け込むという事件が発生した。重病ではないと思われるが、原因はまだ良く分からない。とにかく盲腸かと思ってメスを観念したような痛みだった。ズキズキしている最中は、それが和らぐことだけを祈って全身で色々と工夫しても、どうにもならない。目を開けることも辛い状態で、健康第一がどれほどの恵みであるか、心に染みた。イテテテ舌打ちごめんなさい (註:一時的な食中毒でした。)

痛みとは、何だろう、体の部位が危機に瀕したときに脳に送られる救急信号。伝達を遮断することもできれば、原因を治療することもできる。これは、きっと精神の構造にも当てはまるだろう。苦痛や喜びは、外から植え付けることもできれば、中から湧き出ることもある。感情の針は激しく振れても、普通であることが一番の幸せだなんて、そう簡単には分からない。

幸福とは、些細なことでも我が道を進んでいることを実感するときだろう。ベーシストのチャールズ・ミングスはビートのタイミングについてこう語ったと言う、「タイムというのは線路のようなもので、いつも真っ直ぐに進んでいく。線路沿いの何処に居ても、お互いの位置さえ分かっていれば、大丈夫なのさ」。この比喩は、人間の本質をも貫いている。人生のマラソンで、お団子から遅れることもあれば、スパートして気持ち良いときもある。事故にあって、いっそ脱線したいこともあれば、新しい路線に救われるときもある。そう考えると、運転こそ私達がしていても、線路は一人一人のために敷かれて行く気がしませんか。

人間は働く方が、遊びも楽しい。試練が厳しい程、成長があり、密度の濃い喜びが待っている。幸せとは、人生の口づけのようなもの。一瞬でも、長く味わい深い。思い出なんて作ったモン勝ちや。無くした物が見つかった、そんな喜びを親しい人達と分かち合いましょうよ、健康な内に。