INFO KILL

「情報には、情けも報いも無い」

西暦2004年。去年を振り返ってみれば、人生いろいろな情報に振り回された長い一年であったとつくづく思ひます。本年は、世間の電磁波にあまり上下左右されずに行きたいと思う次第です、丸。

しかし、ヒトのマシン依存症は右肩こり上方修正。360°情報戦のデジタル前線待機。政府だって、ビジネス。ニュースはCMよりもCM。そんな中、メディアをきちんと読み取り、自分らしさを守ることも必要(これをメディア・リテラシーと言います)。何と言っても、人類最大の悲劇は、個性の均一化に他ありません。

一方で、情報の渦は災害のみならず、波を乗りこなせば利点も沢山。世界のどこに住んでいても仕事になるし、家族や仲間とも頻繁に連絡できる。機械の進歩のおかげで、録音や録画による表現もより手頃に、そしてさまざまな想像が可能に。音楽で例えれば、地球の反対側で発された声が、1分後には一万人の観衆を前にDJがその音でスクラッチしているなんてこともアリなのです(昔はテレビの衛星生中継など、誰も信じなかったそうだがそりゃそうだ)。

10年前、「携帯にメールとカメラが付いたら、きっと買い物に行ったお父さんが、どのダイコンが良い?とか言って家に送信するんだろうね」と言ったら友達にかなり笑われたけど、今ではそれがどうした、下手な宣伝にもなりません。いつの時代デモ、生きる人間も使う道具も、一番重要なのは中身(そして簡単にぶっ壊れないこと)。何を、どうして、どうやって伝えるのか。流行通信技術を使いこなした安堵感で満足せずに、端末の向こうには人の目があり心あり、心が動くからこそ世界も動く、ということをメモリに留めておこうではあぁりませんか。

人間がより充実した内容を求め続けさえすれば、並大抵のビートでは踊らされぬ。これからテクノロジーが一人走りして、慢性コンテンツ不足の情報氷河期になることは必至。完全に満たされることなど生涯有り得ないのであり、だからこそ、ヒトもマシンも進化を続ける。その先に何が待っているかには、ヒトの方は目もくれずに。