MOVE YOUR SOUL

あなたが産まれてきたとき、きっとあなたは家族に一番の感動をもたらしたに違いない。え、覚えてない?いつか、分かる日が来るだろうか。そもそも感動って何だろう?人の喜怒哀楽とその中間のどれでも、ある感情の極みが「感動」と呼ばれている。

生きて行くには衣食住の安定が必要だ。しかし若者は暗の了解に服従せず、変化という刺激、生き甲斐を探す。気が緩めば、何かしらの下で働くという錯覚を起こし、寝起きを繰り返す。だから、時として日常を超える活力に触れると、脳が再起動されて新鮮な使命感を受け取るのだ。

何を求めているのか。疲れていると言われ、癒しを売られる。すべて忘れたら、どんなに気持ち良いだろう。いや、詰め込まないと勿体ない。知らなかったことを知って、頭が良くなった気がする。もっと知りたい。新しい世界をハイビジョンで見た。生で見たい。運命の出会いはいつだろう。友を見つけた。そして、激しい恋をした、系。素晴らしいプレーを見た。嗚呼、来シーズンが待ち遠しい。最高のライブを見た。アンコール。曲を聴いて衝撃を受けた。何回でも聴きたい。映画を観て涙した。続編はいつだろう。 何故飽き足りないのか。三つ子の魂か、それとも子供の時に取り上げられたものか。あるいは単なる気分転換か、他人の疑似体験願望か。現実にドラマを注入したいのか。大衆は、何人、何位、何%という感動指数が高いものに群れては、次から次へと消費して行く凄まじい「吸収力」だ。

感動や愛なんて、ただの言葉。本物の気持ちと行動が伴って初めて形になるし、その時に言葉は邪魔にさえなる。言語は人間特有のものだけど、感情は初めからどこにでも宿っている。絶景かな、本当に感動するものほど、タダであり、あり続ける。世間の流行や事件に一喜一憂するより、自分の周りに感動の源を造ろう。ニュースを見るな、ニュースを造れ、だ。

人間は知性があるから、頭角を現し、自然を治め、空を飛んだ。その反面、人間は言葉を覚え、武器を造り、自然から搾取し、調和を忘れた。人間が知性を捨てて野性に戻ったとき、野蛮になるのか平和になるのか。僕は後者だと信じる。