MIND OVER MATTER

以前インド人の友人に小学生向けの教科書を見せてもらったら、「人間とは、筋肉と骨からなる肉体と、体に宿る魂によって出来ている」とイラストで説明されてあり、日本にはない聡明な教育に驚いたことがあります。心と体は密接な関係にあり、心が落ち込んでいても、旅や運動などで体を試せば心もすっきりして謙虚になります。怪我をしたり、風邪をひいて元気な日々が懐かしく思えるように、目では見えない心にも同じことが言えるでしょう。普段は気にかけていなくても、心が自分の「中心」から離れてしまっている状態にふと気付くことはありませんか。自分の価値観と精神状態がどれだけ食い違っているか、これがあらゆる「病気」の原因かもしれません。健康とは、正に自然であることで、無理に労力を費やして得るものでも保つものでもありません。逆に自分にとって不自然に思える場合、無理をしている時が不健康と言えるでしょう。健康の尺度も人それぞれで、性格も趣味も違うことから、どうすればその人が自然体に戻れるか、を感じ取る余裕がカギなのではないでしょうか。

僕は音楽を通じて、とんでもなく辛い環境から美しい作品を産む人達を見てきました。傷ついた人にしか分からぬ人の痛みもあります。人が苦しむことも悩むことも孤独になることも、自然で健康なことだと思います。「類は友を呼ぶ」と言うように、自分の中に破壊的な波があれば、破壊的な周波数を喜ぶでしょう。自分の中に平安があれば、優しい音色を求めるでしょうし、心で戦っている人は解放してくれるきっかけを待っています。音のように、混乱(カオス)と調和(ハーモニー)の間に己と共鳴する生命のリズムを探すことが真の癒しなのです。よって、僕がいつも大事に思うのはむしろ状況よりも、方向性です。どんなエネルギーにも正と負があり、方向性を切り替える力さえ持ち合わせれば何事も可能になります。

人間は欲を満たしている状態が健康だと言う人もいるでしょう。世の中には選択肢も誘惑も沢山あり、これらは世間の欲に巧みに沿って用意されています。誰にだって基本的な生存欲、食欲、性欲に加えて名声欲、知識欲などがある。特に近年のテクノロジーの進化によって情報が飛び交い、何処に居ても注意を引こうとする呼び込みがいます。これらの情報や雑音を見極めつつ、取り入れる柔軟な姿勢も必要でしょう。心とは常に揺れ動いている生き物で、体と同じく健全な新陳代謝がないと、バランスを崩してしまいます。結論を言えば、健康というのは生きるための手段であって、必ずしも生きる目的ではない。どんな旅も終点よりも道中が大事だと忘れずに、寄り道をしながら人生を楽しむことも結構だと思います。是非、この時代にこそ広い空の下で、心の揺らぎを見つめたいものです。周りに合わせて頭と体だけで動かずに、たまには心にも耳を傾けてみましょう。