夢幻殿

気が付くと私はある玄関の前に立っていたのだ。
門前の表札は、楔形文字で彫ってある
唐獅子のノッカーを二度叩くと「ようこそ」と笑った
だからあれ程、一人になりたくないと言ったのに
真鍮の取っ手に慎重に手をかけて、反時計回りに60度程ひねってみると
なんと重いドアは音をたててゆっくりと向こう側に老いた身を退いた。
失礼だと知りつつも、靴は仕切りを跨ぎ一歩踏み入れると
真紅色の絨毯の草原に吸い込まれて消えてしまった。
その時、乳香と没薬の甘い香り胸一杯に嗅いだ
目が閉じた私は裸足のまま顔を上げると
長くて狭い廊下が続いていた。
幅は手を広げるとついてしまう位であった
先に進むと食卓に銀の食器と燭台が
両側には椅子が六つ、先端に一つ。人がいるのだろうか?
廊下は奥が更に狭く、やっとの思いでテーブルの脇をすり抜けた
突き当たりには布が垂れ紫の唐草が立体的に踊っていた
私はその下を潜った。
視界に入ったのは広々とした応接間であった。
眩しい程の数の蝋燭が高く灯され
両側の石造りの壁際には大理石の椅子、そして絵画と彫刻が静かに見下ろす。
絵は真黒な髭の肖像画と枕の浮世絵、そして首の無い蛇のレリーフとファラオのパピルス。
不自然な組み合わせに、誰が集めたのだろうと思っていると背中に冷たい視線を感じた。
私は誰かに見られている自分、を見ている自分を見て妙な気分になり出口を探した。
これは現実なのかと疑ったが、何の役にも立たなかった。
私は部屋の奥の開かれた扉に向った

一歩前に出ると足は空を踏み外し、
背筋が一瞬驚く、同時に擽られて喜ぶ。
そこに階段があると判明し私は幼子のように一段ずつ壁伝いに降りていった。
下に着くと壁に当たり、左に曲がった
その次は右に、また右にそして左に。
すると薄暗く長い廊下に出くわした
そして今度は、人の気配を遠くに感じた
私はその方向に向って歩き始めた
一歩ずつ、そして向こうも一歩ずつ近付く。
私は何故か歩幅も速度も変えることが出来ずに
それは決められた時の軸を歩かされるようで
距離が狭まり、向こうから歩いてくる影が
迫り来る極度の不安と好奇心と共に
押し殺すつもりでも息は荒くなって行き
相手はどんどん近くなり、私もどんどん歩み寄った。

鼻と鼻の先を合わせるようにして止まった
私は熱い息を頬に感じてようやく目を開いた
なんと相手の顔は自分の顔だった
そしてその目はかっと見開き恐怖の涙で満ち溢れていた

心臓を急に掴まれて氷に漬けられた気持ちで必死に息をしながら一目散に逃げ出した。
足場は消えて水中を走っているようだった
私の心はここで横たわっている体に呼び戻された。

出鱈目な落書きの嵐に大音量の雑音
次の瞬間には真っ白な空間に完璧な静寂
これが幾度となく、そして徐々に小刻みに繰り返され
私の精神は完全に壊れる寸前だった。

私は何も見えず光を求めて弄った
そして自分が踊り狂う姿を見て笑った
これが夢であれば、いつ目が覚めるのだろうか?
そして夢でなければ、いつ眠りに就くのだろうか?