カモフラージュの歴史

Camouflage [名]
語源: 仏 camoufler (隠すこと)、1917.
主に軍用の設備をペンキ、ネットや葉っぱ等で偽装すること、迷彩。

原始の知恵

カモフラージュとは、自然界で起きる興味深い現象であり、動物や昆虫が身を守ったり、潜めたりするために環境に容易に溶け込むこ能力を指します。彼等の外装は何百万年の進化を経て、生き残るために最も適している色や柄が自然淘汰された結果なのです。狩りを始めた人間の祖先も、大自然で活動するに当たって、動物の潜在的な知恵を観察し、真似るようになったのがカモフラージュの始まりと言えるでしょう。

カモフラージュには主に二つのタイプがあり、時には併用して使われます。一つは、環境に合わせた淡い色や模様が、視覚的に背景に混ざり易くなることを利用します。もう一方で、キリンなどの草食動物や虎や豹に代表される肉食動物が装う毛皮のパターンは、明暗がくっきりした模様が遠くから見ると全体の輪郭を分かり難くくする効果があり、Disruptive Pattern(迷彩)と呼ばれています。つまり、カモフラージュとは形や色の基本的な認識機能を使った、目の錯覚を巧みに利用しているのです。

原始人が自然の一部を真似た物体を身に纏うようになった変装は、今でもスコットランドのギリー・スーツ(Ghillie Suits)にも受け継がれています。古代のユーロッパ史では、共和制期のヴェリテス(velites)部隊や、オスマントルコ帝国のデリス(delis)部隊が、変装や精神的な効果のために動物の毛皮を着たり、羽を付けて戦った記録が残っています。

軍服の夜明け

欧州の植民地時代には、先進国の軍隊は権力を誇示するために色彩豊かな制服を採用していました。また、戦場では接近戦が主だったために、敵を視覚的に欺く必要性もあまりありませんでした。18世紀になると、銃が進化して戦争で活躍し始め、イギリスの銃撃部隊は狩人からヒントを得て、伝統的な深紅色の上着の代わりに緑色を制服に採用するようになりました。

このような経過から、ヨーロッパの軍服には主に二つの色が徐々に定着しました。一つ目は深緑(ライフル・グリーン)で、ドイツは銃撃部隊に自然に強い猟師達をリクルートしました。森の象徴である緑色が軍服に採用され、カモフラージュとしての役割は少なかったのですが、今日も使われているオリーブの基となっています。もう一つの色は、ペルシャ語で「埃」を意味する khak から産まれたカーキ色です。イギリス軍は従来の赤い上着や白い軍服から、インドやアフリカの戦場での過酷な気象条件に適したカーキ色の軍服を使うようになりました。当初は、スパイスやお茶などで染められた軍服は不評でしたが、時間が経つにつれてスタイルよりも実用性が重視されるようになりました。より地味なカーキ色も迷彩としての目的は低かったものの、緑やカーキ色の制服は第二次世界大戦まで重宝され、新しいカモフラージュの開発において重要な背景になりました。統一された軍服は、アメリカの独立戦争、フランス革命の時にも採用されて実績を残しました。

第一次世界大戦

20世紀の頭には、ドイツ、フランス、イギリスが競って芸術家や技術者を雇い、カモフラージュの研究を進めます。興味深いことに、カモフラージュを最初に必要としたのは兵隊の制服ではなく、飛行機や船舶、基地などの軍用設備を敵の視察機の目から守ることでした。第一次世界大戦では飛行船隊が台頭し、上空からのモノクロ写真に対して、地上でのカモフラージュは非常に効果的でした。

この時期には幾何学的な模様が迷彩に取り入れられています。1916年の終わりには、ドイツがロゼンジ(Lozenge)と呼ばれる、色鮮やかな多角形パターンを布に印刷したカモフラージュ柄を考案しました。ロゼンジ布は機体の内外に部分によってカスタム化されたデザインが貼られ、上空と地上からのカモフラージュに成功しました(もっとも、機体に塗られた国のシンボルマークが迷彩を台無しにしたという話もありますが)。同じように、英国艦隊は斬新なダズル(Dazzle)と呼ばれる、明暗のはっきりした縞模様を基調にしたパターンを開発し、魚雷を積んだ潜水艦に対応しました。

一般の兵隊達は、迷彩の軍服をまだ好まず、イギリスやアメリカの部隊はカーキ色を採用し続けていました。唯一の地上部隊での活用は、ドイツ軍のスタールヘルム(stahlhelm)というヘルメットで、自国の軍用機の迷彩を取り入れた抽象的なパターンが塗装されています。

第二次世界大戦、冷戦、そしてベトナム

第一次世界大戦が終わると、ドイツが迷彩の実用化を推し進めます。1930年代には有名な「スプリッター(Splitter)」パターンをドイツ軍の公式迷彩として採用します。その後開発された、木や葉などをテーマにした迷彩は、エリートのWaffen-SSのみが着用していました。この頃も、他の先進国のカモフラージュ服はまだ実験段階で、初期の迷彩柄は人気が無いためにあまり浸透しませんでした。

第二次世界大戦が終局を迎え、ソビエトとアメリカが主導権を握り冷戦時代に突入すると、他国のカモフラージュにも影響を及ぼすようになります。政治色の強いドイツ軍のパターンはあまりコピーされなかったものの、東欧諸国はこのデザインを受け継ぎつつ、新しい柄を開発していきました。ソビエト軍の新たな展開としては、ピクセル系のクラスタ柄を採用しました。一方アメリカは、ベトナム戦争の過酷な戦場でカモフラージュが必要となり、ウッドランド(Woodland)柄とタイガーストライプ(Tigerstripe)柄が定着します。

現代のカモフラージュと、その未来系

今日の迷彩服は、地理や天候に対応するだけでなく、軍隊において、その国の象徴になっています。個性を反映したデザインは、国旗と似たような機能を持つため、新たな独立国などは必ず新しい迷彩柄を導入します。近代のテクノロジーの進化に伴い、カモフラージュは赤外線や熱線映像などにも対応していくようになり、同時にコンピュータで計算された迷彩柄などの研究も続けられています。また、カモフラージュはミリタリーのコレクターや、一般人のファッション、デザイン界などに幅広く受け入れられ、文字通り社会に溶け込むようになりました。映画「プレデター」や、アニメ「攻殻機動隊」の熱光学迷彩に見られるような未来のカモフラージュが浸透する頃には、リアルタイムに外部環境の情報に対応する衣服が産まれ、人間はますますカメレオンのようになっていくことでしょう。


top