歴史相関図から見て取れるように、内部被ばくは当初から知られていたにも関わらず、核兵器や事故の度に議論になってきました。 今も尚、意見が大きく別れているのは何故でしょうか。

まず 、被ばくを予測するためにも精度の高い汚染地図をつくるには多くの時間と労力を必要します。また、 内部被ばくの影響は免疫力の個人差もあり、細胞へのダメージが表れるには時間がかかることや、他の原因や症状と隔離して証明することが難しい点にあります。

逆に、内部被曝のメカニズムは機器の進化によって医学的にもより明らかになっているので影響を否定する余地は年々少なくなっています。

そこで、原子力産業はこの100年間、どのような手段を使って汚染と被ばくを見積もって来たのでしょうか。

放射性物質が環境で「拡散と希釈、人体で吸収、排泄される経路」とは別に、どのような方法で「データを希釈」しているかを視覚化しました。

これらの方法は、時代や状況によって「さまざまな順番や組み合わせ」で使われてきた報告のまとめで、マニュアルがあるとは限りませんが、意見の相違が平行して「同時多発的に」起きると大きな混乱を招きます。

データを重ねて「平均化」していく「パターン」によって、いかに個人への影響が統計で薄まって行くのか。

単位で白黒をつける職業も必要である反面、自然界には時間も放射能も単位は存在しません。
あるのは命の循環だけです。








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放射能の汚染、体内被ばくを過小評価するためには「データを希釈」するのが一番楽な方法。放射性物質は地理的なホットスポット、濃度の高い埃や塵などのホットな分子を多く作り上げるが、計測はこれらを避けてすれば良いことになる。それが意図的でなくても、結果的に平均値を求めることによっていちばんダメージの多かった土地・人口・個人・臓器が無視されたまま評価が進んで行くことになります。


反対に、汚染や被ばくを注意している人は、デ−タの希釈に対してデータあるいは「イメージの濃縮」をしてしまう可能性が強い。自然なことかもしれないが、汚染や被ばくと聞いただけで、がんをイメージして恐れてしまいます。現にストレスは体に良くないし、細胞や遺伝子レベルで破損を修復する機能が何重にも備わっているのも事実。ただ、それは確率的な問題であるが上に、影響が明確でないまま正当化されるのは繊細な人口にとって大きな問題になります。

お互いに議論に有効なデータを人為的に汲み取るのではなく、不都合な材料でもバランス良く取り入れた上で学んで行けば、より健全な意見に辿り着けるのではないでしょうか。




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