「僕と核」
    (2006)

7. ひばくの歴史


人工放射線による被ばくには、長い歴史があります。広島と長崎に落とされた原子爆弾が産んだ被ばく者は、 歴史の中では、ほんの一頁に過ぎなかったのです。

初期の原子力産業は、現在の遺伝子工学のように、長期的な影響を顧みずに放射性物質をどんどん商業化していきました。20世紀の前半は、放射線はアメリカで「万病の特効薬」として知れ渡っていたために、X線を多くの病に処方したり、飲料水にラジウムを混ぜるまで浸透していました。被ばくの影響というのは、これまでに、多くの科学者(レントゲン博士やキュリー夫人など)や労働者たちが白血病やがんで命を落として、だんだんと明らかになったことなのです。

<大気圏核実験>

若い世代は詳しく教わる機会も少ないのですが、1945年にアメリカで初めて原子爆弾がテストされ、広島と長崎で使われた翌年から、たくさんの核爆弾が実験のために地球に落とされました。改良された原子爆弾や水素爆弾の威力をテストするためです。ちなみに、水素爆弾はウランの核分裂の熱をつかって水素の核融合を起こすという、より強力な技術です。(1954年には「第五福竜丸」事件が起きて、全国が大騒ぎになりました。水爆実験を浴びて変異したとされる「ゴジラ」が誕生したのも同じ年です)

核開発は冷戦中に国家の存亡をかけた競争に発展したため、どんどんエスカレートしていきました。60年代半ばまではアメリカがマーシャル諸島で、ソ連がシベリアで、フランスがサハラ砂漠とポリネシアで、イギリスがオーストラリアの砂漠で、広島の原子爆弾の何万発分に値するウランを大気で燃やしたのです。太平洋で実験ができなくなったアメリカは、ネバダ州上空だけで約200発、地下実験も含めて900発の核爆弾を爆発させました。中国も核実験をウイグル自治区で90年代までに46回の核実験を行いました。

大気と大海はつながっているのですから、何十年にも渡って世界中に放射性物質がまき散らされ、日本にもアジア大陸からの放射性物質が到来しました。これが及ぼした影響は本当に大きなもので、放射性物質が土や水、草に入り込み、沢山の人が知らずに内部被ばくを起こしました。また、放射能によって汚染された乳製品や穀物などが緩和な規制の元に輸出入されました。この結果、多くの新生児の命が奪われ、あるいは健康を損なったまま成長し、その後遺症は一般市民に知らされてないまま続いているのです。これだけ人権の保護が唱えられている世の中で、これほどまでにタブーな事件もあるのです。核実験の時代は、新兵器の性能だけではなく、人体実験の役割を果たしたとも言えるでしょう。それを通して、私たちはいったい何を学んだのでしょうか。

大気圏核実験が去った現在でも、人工の放射線源が、さまざまな内部被ばくの原因になっていると言われています。核実験時代がもたらした生成物の半減期が切れるに従って、環境の人工放射線は減っているものの、原子力発電所はまったく同じ放射性物質を製造し続けています。また、最近の戦争でふんだんに使われるようになった「劣化ウラン弾」は、戦場のみならず、世界中の人口が内部被ばくをする原因になっています。このことについては、また次回にお話したいと思います。

<チェルノブイリ>

チェルノブイリとは、旧ソ連のウクライナ共和国にあった原子力発電所の名前で、1986年に原子炉が爆発するという、「メルトダウン」事故を起こしました。「チェルノブイリ事故が、今の日本の原子力発電と何の関係があるの?」と思うかもしれませんが、実は多いにあるのです。これは、安全対策のことではありません。チェルノブイリがもたらした放射能汚染の後遺症の調査というのは、今でも積極的に続いていて、原子力産業にとっては、命にかかわる一大事なのです。チェルノブイリは遥か遠い土地で起きた昔の出来事ではなく、今後、世界の核廃棄物が扱われる基準を定めるための焦点にもなっているのです。

2006年は、チェルノブイリから20年という節目を迎えて、政府機関、独立機関の双方の研究の集大成が発表されました。

ヨーロッパの新たな独立研究機関として1997年に発足したECRR (European Comittee on Radiation Risk)が発表した「Chernobyl: 20 Years On」 は、ロシアの科学者達が低レベル放射線が尚も生態系全般(人間、動物、植物)にもたらしている深刻な後遺症を記録した研究を、論文形式で発表しています。主に除染作業者や住民の健康のいちじるしい悪化と、自然界で起きている遺伝的変異を細かくレポートすると同時に、国際機関がいかにこの現状を過小評価し続けているかを、激しく訴えています。

国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、世界保険機関(WHO)、国際放射線影響科学委員会(UNSCEAR)など、国連をベースにする原子力組織、そして原子力を保有する各国政府は、揃ってチェルノブイリの後遺症を度外視しています。当然のことながら、日本の原子力委員会は国際機関の見解を全面的に支持する姿勢を保っています。チェルノブイリ10周年のときも似たような扱いであったし、ECRRの主張によると、過去10年に行われた実験や研究の成果も、なかなかロシア語から翻訳もされず、国際的権威からは無視されるまでになっています。

チェルノブイリの現場で働いた80万人の除染作業者のうち、すでに少なくとも3万人は放射能の影響で重病を患って、命を落としています。また、ECRRのレポートは「今後5億人の人口が百年に渡って低レベル放射線の影響を受け続けるだろう」とした上で、「チェルノブイリの放射能漏れによって、少なく見積もっても290人の直接的な死者と、欧州で100万人以上のがんによる死者を出した」との結論を発表しています。

一方で、IAEA代表のアベル・ゴンザレス氏は、2001年に行われたWHO主催のチェルノブイリ会議で、以下のような発言をしています。
「我々は何を発見したか、、、新しいことは何もない。チェルノブイリは31人の死者と、2000人の子供で小児がんを増加させただけである。その他に国際的に認知されているデータは存在しない」と。(2006年のレポートでは、今後9000人のがんによる死者がでる可能性がある、と訂正されました)

この認識の開きは一体何によるものでしょうか。人々を放射線の被害から守るべき国際組織が、このように消極的な態度をとっているのは何故でしょうか。その理由はいたってシンプルです。

現在の「国際的な」放射線許容量を元に分析すれば、チェルノブイリの除染作業者の多くが「影響を受けない程度のレベル」を被ばくしただけ、と分類されてしまいます。しかし、この許容量には「低レベル放射線による慢性的な内部被ばく」がちゃんと反映されていないのです。これまで多くの科学者に指摘され続けているのが、 ICRPを軸とする国際機関に認定されている、放射能に対する人間の「許容量」は、主に広島と長崎の原爆の生存者のデータを参考に設定されたもので、人体への低レベル放射線による慢性的な内部被ばくは、計算に入っていません。

いくら国際機関が「影響を受けないレベルだ」と断言しても、じっさいに多くの人が体を壊して亡くなって行っているのですから、「それはおかしい」「精神的な被害の方が強い」と首を傾げるのも下手な演技としか言いようがありません。紙の上の計算や環境の調査だけではなく、患者をちゃんと診れば、分かることなのです。逆に、「人工の放射線はいかなるレベルでも健康に害がある」という基準を受け入れてしまっては、原子力産業は営業を続けることが不可能になるのです。原子力産業は環境を汚染しているばかりでなく、情報までをも意図的に汚染しているのです。

もう一つ覚えておきたいのが、原子力発電所は、
安全運転を続けていても、時間をかければ、核実験や大事故以上の放出量を蓄積する運命にあります。

世界中の原子力発電所が通常の寿命である20年間稼働するだけでも、その廃棄物の0.01%が大気に放出されるだけで、合計でチェルノブイリ事故の数十倍に相当します。放射性物質によっては20年以上の半減期を持つ物は沢山ありますから、環境の人工放射能は増えて行くのです。チェルノブイリの事故に対する認識によって事の重大さもまったく変わってくる訳ですが、まさに放射能の塵も積もれば山となる、です。

けっきょくは、どの立場から実体を探るかで、答えは始めから決まっているようなものです。科学的には、被害の数を見積もることはできても、被害の程度を減らすことはできません。

原子力が出す人工放射線の「安全許容量」というのは生物学的には実質上ゼロであるため、じっさいに人が決めているのは、社会的な「許容量」である

例えば、日本では車の交通事故で毎年一万人以上の人が亡くなっているが、だからと言って、自動車産業が責められることはありません。車を運転する権利を得ている以上、社会が「許容量」として認めているのだから。そこで、世論というのが、判断を下す上でとても大事になる訳です。何故なら、世論を完全に敵に回してしまっては、それこそ産業や政府が成り立たなくなるからです。

原子力の存亡をめぐる対立は、今に始まったことではありません。物理学、生物学、疫学、統計学のプロたちが何十年もかけて、アメリカ当局を相手にバトルしてきたように、利権に縛られた政治家や業界人間のサークルではそう素直に受け入れられることはなかったのです。核実験の巨大なキノコ雲は誰が見ても明らかな環境汚染ですが、原子力発電所が出す煙は、いつの間にか安全だということになってしまったのです。いえ、むしろ安全だと思わせなければいけない、と努力した結果が今の原子力発電所なのでしょう。

それでも、原子力発電所の廃棄物に膨大な放射能があることや、低レベル放射線の影響も明らかになってきて、それを伝えようとする運動が広まっています。従来は、科学者たちが自主的にやっている研究は予算や資料の不足に苦しむか、一般人による草の根的な運動が成功した例以外は、大手メディアに紹介されることがありませんでした。いくら画期的な記事や論文を学会で「発表」しても、それが一般人の耳と心に届くかという事とは、別問題なのです。こうした傾向もインターネットの出現などが助けて改善されていると同時に、原子力機構も一生懸命、安全性をアピールしている訳です。

現在は、人工的にほぼすべての元素の放射性同位体をつくることが可能で、放射性のラジウムやコバルトなどは、がんや腫瘍の治療、その他の製造工程などにも使われています。原子力産業を含め、放射線を扱う仕事に就いている人たちは、被ばくを最小限に抑えるように細心の注意を払っています。また、放射性物質の不法投棄などの可能性を含め、世界中で厳しい基準と法律が設けられています。

医療用のX線(レントゲン)による副作用さえ、未だに広く論議されています。(ガンマ線が原子核から発せられるの対して、X線は電子が移動したときの軌道から発せられる電磁波です)今日では、妊婦にX線をかけることは極力避けられていますが、そこまで危なくないと言う医学者もいれば、原子力に深く関わって来た科学者の中にも、医療用のX線は胎児への影響のみならず、成人の心臓病や乳がんにも貢献していると断言する人もいるほどです。

放射線というものが人類にとってどのような利点があり、どのような害があるのかあやふやであるため、いまいちどはっきりさせることが必要です。それが、これまで知らずに命を奪われて来た人たちから託された、私たちの大事な役目ではないでしょうか。

専門家ではなくとも、だんだんと見えてくる縮図はあると思います。このようなことは世界中のあらゆる分野で、今も昔も続いています。世の中、楽しいことばかりではありませんが、世の中を楽しむためにも、私たちがしなければいけないことは残っています。まずは一般層が知識と知恵をアップデートして、かつ視野をできるだけ広く持つことを心がけることが、はじめの一歩ではないでしょうか。

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